長引くコロナ禍で「悪い呼吸」の人が増えている
息を吸い、息を吐く。普段は無意識のうちに行っている呼吸だが、1日の呼吸数は実に約2万回にもなるという。その呼吸が私たちの体に及ぼす影響について、長年にわたり呼吸神経生理学を研究する、昭和大学名誉教授の本間生夫さんはこう話す。
「私たちは絶えず呼吸をすることで、生命活動に必要なエネルギーを作り出しています。それ以外にも、呼吸は私たちの心身にとって重要な役割を担っています。それだけに、日ごろから呼吸のコンディションが悪い人は、さまざまな不調や病気を招きやすくなり、心身の衰えや老化のスピードを早めてしまうリスクがあります」
呼吸機能や呼吸をする力が衰えると、肺に十分な空気を送り込めなくなり、息苦しさを感じるようになる。また、体の隅々まで十分な酸素が行きわたらなくなり、エネルギーを生み出せなくなることで代謝が落ち、各臓器の働きが低下したり、疲れやすくなったりもする。さらに、呼吸機能が落ちると、不安や抑うつ、いら立ちといったネガティブな感情が高まることも分かっている。
「息苦しさ」や「呼吸のしにくさ」というと、呼吸器疾患の症状や運動をしたときなどの「ハァ、ハァ」「ゼェ、ゼェ」といった息切れや呼吸困難をイメージする人も多いだろう。だが、そうした明らかな息切れや呼吸困難を自覚することはなくても、息苦しさや呼吸のしにくさは思わぬかたちで忍び寄っていることがあると、本間さんは指摘する。それが、本間さんが「悪い呼吸」とする「浅くて速い呼吸」だ。
「浅くて速い呼吸」がなぜ、「悪い呼吸」になるのかについては、本間さんによると「ストレス社会に生きる現代人は、気づかぬうちに『浅くて速い呼吸』になりがちです。長引くコロナ禍ではさらにストレスや不安が高まり、『悪い呼吸』になっている人が増えていると感じます」と危惧している。
「加齢による肺や呼吸機能の低下は避けられないものの、深くてゆったりした『良い呼吸』が身に付けば、心身の老化や衰えのスピードを緩やかにして、『息をする力』すなわち『生きる力』を維持・向上していくことができます」(本間さん)
「二酸化炭素」も呼吸で重要な役割を果たしている
私たちが普段、無意識に行っている呼吸には、重要な役割が2つある。1つは、空気中の酸素を肺から全身へと取り入れて、生命活動に必要なエネルギーを作り出すこと。もう1つは、体内の二酸化炭素の量を調節して、酸性とアルカリ性のバランス(酸塩基平衡)を保つことだ。それぞれの仕組みについて、もう少し詳しく説明していこう。
私たちは呼吸をするとき、鼻や口から空気を吸い込み、肺に取り入れている。肺の中には、気管から細かく枝分かれした気管支があり、その先端には小さな袋状の肺胞がある。肺胞を取り囲む血管を流れる血液は、肺に入った空気中の酸素を取り込んで全身の細胞に運ぶ。運ばれた酸素は細胞内のミトコンドリアで栄養素と結びつき、燃焼することでエネルギーが産生される。
「このエネルギー代謝が行われるとき、酸素と引き換えに排ガスのように発生するのが、二酸化炭素です。生み出された二酸化炭素は血液によって肺に運ばれ、息を吐くことで体外に排出されます。こう話すと、二酸化炭素は体にとって『不要な排せつ物』だと思われるかもしれません。近年は特に、二酸化炭素は地球温暖化の原因となる温暖化ガスの1つとして忌み嫌われています。しかし、二酸化炭素も私たちの体にとってなくてはならないものであり、ある意味、酸素以上に重要な役割を果たしているといっても過言ではありません」(本間さん)
なぜなら、二酸化炭素は、体内の酸性とアルカリ性のバランスを保つ調整役を担っているからだ。私たちの体には、体の状態を一定に保つ「恒常性維持機能(ホメオスタシス)」が備わっている。このホメオスタシスによって、人の血液のpH(ペーハー:液体の酸性・アルカリ性の程度を表す数値)は、常に7.4前後に保たれている。
ちなみに、pHは14段階で示され、pH7.0が中性となる。これを基準に、血液中の二酸化炭素が多いと酸性に傾き、二酸化炭素が少ないとアルカリ性に傾く。人の血液のpHは7.35から7.45のわずかな範囲が正常値とされ、この範囲から酸性に傾いても、アルカリ性に傾いても、体に異常が表れる。「例えば、酸性に傾くと臓器や消化器に不調が起こり、アルカリ性に傾くと筋肉の異常や意識障害を引き起こします」(本間さん)
アルカリ性に偏ることで起こるトラブルで、最もよく知られているのが「過換気症候群」(いわゆる過呼吸)だ。体内の二酸化炭素が排出されすぎて少なくなることで、発作的に呼吸が速く荒くなり、息苦しさや呼吸困難、頭痛やめまいなどを訴える。過呼吸はストレスや不安障害なども関係するが、過換気発作の引き金となるのは、実は体内の二酸化炭素不足なのだ。
体内の二酸化炭素の量が適切に保たれているかどうかを常に感知しているのは、脳の脳脊髄液。その情報に応じて、呼吸の中枢である脳幹が、呼吸によって体内の二酸化炭素の量を調節するように指令を出す。二酸化炭素が多くなりすぎれば、息を多めに吐く。二酸化炭素が少なくなってきたら、息を少なめに吐く。こうした調整が、無意識のうちに自動で行われているのだ。
「このように、生命活動に欠かせないエネルギー代謝や、体内の二酸化炭素の量を調整することを目的に、無意識のうちに行っている呼吸を『代謝性呼吸』と呼びます」(本間さん)
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